いよいよ東京パラリンピックが迫ってきました!
今回はこれまでにパラリンピック水泳男子の日本代表選手として活躍し、東京パラリンピックでの活躍も期待される中村智太郎選手、山田拓朗選手、木村敬一選手のこれまでの経歴や獲得したメダルについてご紹介します!
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中村智太郎選手のストーリー・経歴・メダル獲得数
生まれつき腕がないのに、競泳で腕のある選手よりも速く泳ぐ中村智太郎選手。
水泳でキックが大切だということがよくわかります。パラ選手の活躍は、多くの人々に勇気と希望を与える。これからも注目していきたいです。#パラリンピック pic.twitter.com/dSM1thTZLI
— masadoku (@immasato1) December 12, 2020
まず一人目は、パラリンピックに4度連続出場中で平泳ぎのスペシャリスト、メダリストでもある中村智太郎(なかむらともたろう)選手です。
中村智太郎選手のストーリー
中村選手には生まれた時から両腕がありませんでした。
ですが、両親は一人で何でも出来るようにするために特別扱いはしなかったといいます。その両親に「両腕がなくても溺れないように」とすすめられ、5歳の時に水泳を始めました。
その後めきめきと上達していき、2000年のシドニーオリンピックに自分と同じ障害を持った選手が出場しているのを見て、本格的に競泳を始めパラリンピック出場を目指していきます。
そして2004年のアテネパラリンピックに念願の初出場を決めました。中村選手はそれから2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオと4大会連続出場中です。
水泳の選手は複数の種目に出場することが多いのですが、中村選手はこれまで100m平泳ぎ一本でパラリンピックに臨んできた“平泳ぎのスペシャリスト”でもあり、初出場した2004年のアテネでは銅メダル、2012年ロンドンでは銀メダルを獲得しました。
中村智太郎選手の経歴
オリンピック出場歴は以下の通りです。
- 2004年 アテネパラリンピック
- 2008年 北京パラリンピック
- 2012年 ロンドンパラリンピック
- 2016年 リオデジャネイロパラリンピック
そして、数々の賞を受賞しています。
- 内閣総理大臣表彰 受賞
- 文部科学大臣表彰 受賞
- 厚生労働大臣表彰 受賞
- 大阪府知事表彰 受賞
- 兵庫県スポーツ賞 受賞
- 和歌山県知事表彰 受賞
- 和歌山県スポーツ顕賞 受賞
- 和歌山県スポーツ賞 受賞
- 橋本市スポーツ顕賞 受賞
- 橋本市スポーツ賞 受賞
中村智太郎選手のメダル獲得数
中村智太郎選手のメダル獲得数は以下の通りです。
- 2004年 アテネパラリンピック 銅メダル
- 2012年 ロンドンパラリンピック 銀メダル
今度の東京オリンピックでも、力強い両足のキックでメダルに向かってぐんぐんと突き進んでいって欲しいですね。
山田拓朗選手のストーリー・経歴・メダル獲得数
リオ #パラリンピック #水泳 男子50メートル自由形S9で銅メダルを獲得した山田拓朗選手です。「リオ2016大会で感じたこと」をお聞きしました!#Rio2016 #Bronze #RiotoTokyo pic.twitter.com/8bPyMdOlmK
— Tokyo 2020 (@Tokyo2020jp) September 17, 2016
二人目は4大会連続出場中、リオで銅メダルを獲得し更なる成長を続ける山田拓朗(やまだたくろう)選手です。
山田拓朗選手のストーリー
山田選手には生まれつき左肘から先がありません。
水泳を始めたのは3歳の時で、小さい頃の山田選手が水をひどく怖がっていたため、それを心配した両親がスイミングスクールに連れていったのがきっかけでした。
すると物凄いスピードで上達していき、幼稚園で既に4泳法が泳げるようになったというから驚きですね。
そして、2000年のシドニーパラリンピックで同じ障害者水泳チームの先輩が金メダルを獲得し、それを実際に目にしてからパラリンピック出場を目指すようになりました。
わずか4年後、山田選手はアテネパラリンピックに13歳で初出場し、その後2016年のリオまで4大会連続で出場を決めています。
2008年北京では100m自由形5位、2012年ロンドンでは50m自由形4位、そしてリオでは遂に50m自由形で銅メダルを獲得しました。
山田拓朗選手の経歴
山田拓朗選手のオリンピック出場歴は以下の通りです。
- 2004年 アテネパラリンピック
- 2016年 リオデジャネイロパラリンピック
山田拓朗選手のメダル獲得数
山田拓朗選手のメダル獲得数は以下の通りです。
- 2016年 リオデジャネイロパラリンピック 銅メダル
パラリンピックに出場する度に良い成績を残してきているので、次の東京オリンピックでもますます期待がかかります!
木村敬一選手プロフィール・経歴・メダル獲得数
👏対談記事到着👏
「#WHOIAM」に登場した日本パラ水泳のエース🇯🇵#木村敬一(東京2020パラリンピック代表内定)と、田中晃(WOWOW代表取締役 社長執行役員)のSP対談が、東京・豊洲エリアのWHO I AM HOUSE Powered by TOKYO GASにて実現。ぜひご一読ください!@kimurakeiichihttps://t.co/V5flXxhzBr— WOWOWパラリンピック/Paralympic Documentary Series #WHOIAM (@WOWOWParalympic) December 25, 2020
木村敬一選手はロンドンで2つ、リオで4つのメダルを獲得した日本の水泳界のエースと知られる選手です。
木村敬一選手のストーリー
2歳の時に視力を失い、全盲になった木村選手ですが、もともと体を動かすことが好きだったこともあり、小学4年生の時に母親のすすめで水泳を始めました。
中学生で上京し都内の盲学校に通うようになると、先輩や指導者に影響を受けながら、本格的に水泳を始めて頭角を現していきます。そして高校生の頃にはパラリンピックを目指すようになりました。
パラリンピックに初出場したのは2008年の北京、それから2012年のロンドン、2016年のリオと続けて出場しています。ロンドンでは日本代表の旗手も務めました。
初出場した北京パラリンピックでこそメダルに手は届かなかったものの、2012年のロンドンでは100m平泳ぎで銀、100mバタフライで銅を獲得、2016年のリオでは50m自由形と100mバタフライで銀、100m平泳ぎと100m自由形で銅とメダルを計4個獲得しています!
木村敬一選手の経歴
木村敬一選手のオリンピック出場歴は以下の通りです。
- 2008年 北京パラリンピック
- 2012年 ロンドンパラリンピック
- 2016年 リオデジャネイロパラリンピック
そして、数々の賞を受賞しています
- 栗東市民栄誉賞(2016年)
- 県民スポーツ大賞(2016年)
- 毎日スポーツ人賞 ベストアスリート賞(2016年)
- 日本パラスポーツ賞 大賞(2016年)
木村敬一選手のメダル獲得数
木村敬一選手のメダル獲得数は以下の通りです。
- 2012年 ロンドンパラリンピック 銀メダル・銅メダル
- 2016年 リオデジャネイロパラリンピック 銀メダル・銅メダル
東京パラリンピックでも日本のエースの泳ぎに大注目ですよ!
まとめ
今回ご紹介した中村選手、山田選手、木村選手は東京パラリンピックの出場を目指しており、代表入りが有力視されている注目の選手です。
3人の東京パラリンピックでの活躍に期待しましょう!
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ラインナップはこちら!
陸上の伊藤智也(日本)
バトミントンのチア・リクハウ(マレーシア)
馬術のスティナ・タンゲ(デンマーク)
陸上(幅跳び)のマルクス・レーム(ドイツ)
パワーリフティングのシェリフ・オスマン(エジプト)
ボートのローレン・ラウルズとローレンス・ホワイトリー(イギリス)
森井大輝(日本/アルペンスキー)
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